斬り

びらびら買っちゃいましたよ。ハズバンドにねだって買ってもらいました。
びらびらがどす黒く萎れていくさまはまさに老醜。
びらびらシクラメン手に入れて(写真はコスモスのようだが)
さて本格的歳末を迎える心かまえができたところで、
箱マダム失業!
無職で年越しって、このうえなく悲惨な境遇のようだけど、
ま・望むところだったんです。
正月ゆっくり来年の生活設計でも立てますわ。
あ・貯金が無かった! しまった! 慌てなきゃ。

無職だと気が淀むね。なぁんもしたくない。
ごろごろして山田風太郎読んでます。
うぬっ。
今年の収穫はちくま書房が刊行した山田風太郎全集。
山風はやっぱり忍法モノが人気が高いけど、明治小説集もなかなか。
ちょんまげと洋化の狭間には魔が在る。
華やかでありあたたかであり傲慢であり美味で便利なものが
どっとなだれ込み、人々は混乱させられるのだけど、
そこでもうけいれるものとうけいれられぬものがちゃんとある。
定まった道徳と慣習の礎があってこそ選別できる目が育つのだ。

あたいらの世代に葛藤なぞあったためしはなく、垂れ流しの広告や
薄っぺらいテレビ文化をためらいなく享受し、ずさんな魂ができていく。

真実の愛だのとまらない涙だの、チョー泣けるだの下衆いことばを
最近よくメディアで見かけるのだけど、それに釣られて大衆は動くんでしょ?
泣いた後は一種爽快であり、たしかに心理的な浄化作用はあるけど、
ナケルって言葉も奇異だし、それが重要な流行句であることが
まったく解せない。
泣くために嬉々と体験するってのは中毒的な感じがするし、不浄だなぁ。
泣くまいと歯を食いしばるのはやせ我慢と馬鹿にされることではなく、
あたいらには貴重な葛藤だし、それくらいしてもいいじゃない。
愛が甘ったるく連呼されるのもナルシズム高じて泣くのもうんざり。


ハイテンションでいってみよー世代てのもそろそろ終焉にしませんか。
怪訝だし、そら恐ろしいし。