しあわせになりたい

チッ。
無職なのに、今や専業主婦なのに
部屋は散らかり汚れた食器も溜まり、
暇はあるがやる気はないという悪態。
ハズバンドには日々「ザ・デリヘル」と呼ばれ辱められています。
デリバリー・ヘル、ね。
箱マダムの触れるとこ行くところ地獄のような散乱をきたすという。
ハズバンドのうまいこと言うねの洒脱ぶりはまあ・いいとして、
今日はチッチッと舌打しながら、ネットでドグマ95認定映画を
順番に書き出していくという徒労に半日費やしてました。
8.9.10.11番目がわからない・・。日本公開されてないのかなぁ。

ドグマ95を知ってるか?
わたしが自称映画好きと映画マニアとを区別する時に使う質問です。
ドグマ95とはデンマーク映画作家3人が定めた映画制作の
10条からなる憲章で・・
あ・詳細はネットのキーワード検索で調べてください。

ドキュメンタリー映画好きのわたしには、ドグマ95認定は
とりあえず観るという好物の標。
今月になってドグマ95の12.13番目に認定された「しあわせな孤独
「幸せになるためのイタリア語講座」いずれも女性監督の2作を
観たのだけど、イカンなぁって感想でした。
ドグマ95には「シーン中に自然と流れるもの以外、いわゆる映画音楽を
使用してはならない」という掟があるんだけど、甘く破られてた。
つまらんことに目くじらたてるわたしも大人気ないけど。
邦題もそんな、ドグマ2作続けて「しあわせ」尽しって安易でしょう。
箱マダム、しあわせという言葉はすきだけど今どき、なんでこの場合に
「しあわせ」が関係ある?ってほど乱用されてませんかね。
とうっすら苦々しい気持ちで昼寝をしていたら、ウチに宗教の勧誘
がきまして。
堅い顔した中年女が「お友達とこの辺りの地区を回ってる」と
連れの知恵の足りなそうな図体の大きい男を指して名乗り、
「聖書を読まれたことがありますか」と聞くので
「ええ・まあ。おもしろい読み物ですが、宗教はなんでも嫌いです」
と答え、インターフォンを切ろうとすると、
中年の女性は「世界しあわせにしたいと思いませんか?できるんですよ」
とすかさず続けるから
「宗教でそれができると思うのは傲慢ですよ。傲慢は罪です」
箱マダムが反論すると
「しあわせを祈るのはいけないことですか?ほんとうの罪を知らずに
言うのは軽率です」
と叱咤された。ドアの覗き穴を覗くと、大きな男がしきりに頷いていた。
「宗教は個々の判断を鈍らせます。聖書にあることがすべて善悪の基準と思う
のはあなたの勝手ですが、押し売りはいけません」と
こちらもインターフォンごしに熱くなった。
箱マダムに宗教を説いてはいけません!
またドアの覗き穴を覗いて反論を待ったが、すでに女の姿は見えず、
連れの男だけが淀んだ目をして立っていた。
 
わたしが入信しないと世界はしあわせになれないんですかね・・。
困りましたね。