すくわれる、すくわれる、たましいと足もと

“救い主”が生まれた日を祝って、街じゅう至るところ電飾であふれかえり、
夜がきらきらしている。いや・べつに祝ってないだろう“救い主”が
誰かなんて興味はないしこの目で見たことのないものは存在しないものだから。
きらびやかな電飾こそが“救い主”でもいい。まばゆい光は目を眩ませる。
とっておきの日がくるのだと暗示をかける。
多幸感に包まれるか、またはひどい孤独を感じる。
箱マダムはそんな禍々しい季節電飾がきらいです。
24日渋谷に映画を観に行きました。駅前のスクランブル交差点に、右翼ばりの
公宣カーを横付けして、悔い改めよ、としきりにがなっていました。
交差点の四隅を占拠した、おなじみ・黒に黄色の立て看板。
「死後の行き先を考えよ」「キリストは人のために死んだ」
・・なんか恩着せがましい、脅し口調?
映画『アメリカン・スプレンダ−』で、主人公の同僚で、ちと頭の働きが
スローな男が、神経質で陰気な主人公に言う「宗教を信じることはいいことだ、
明るい人間になれる」って台詞が忘れられないんだけど、
渋谷のキリスト街宣は暗い抑圧を感じたなぁ。


ハズバンドと観に行った映画は、ラ−スフォントリア−脚本『ディアウエンディ』
宮下公園のそばに出来た、新しい(狭苦しい)劇場の単館上映だったから、
あれ・みんなの注目作じゃないんだぁとさみしくなりましたけど、映画は胸のすく
快作でした。トマス・ウィンターベアがいちおう監督だけど、ただの傀儡って
いうか、これはラ−スフォントリア−の映画。
どことなく臆病な感じの妙な造作をした人生惨敗顔をキャストにそろえるところ
なんか、もうラ−スフォントリア−のシルシでしょう。
この人の皮肉、冷徹さがたまらなく好き。
生きること死ぬこと欲望を感じること愛すること排せつすることにくむことが
いっしょくたになっていて、この世に特別なものはなにもないという、
じぶんがケダモノあがりだということを、人間忘れたくないわね。